2013年2月12日火曜日

闘魂 新日本プロレスの夜明け



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1972年3月6日、大田区体育館で行われた新日本プロレスの旗揚げ戦を収めたもの。
メインはパッケージにもあるアントニオ猪木vsカールゴッチの師弟対決となっています。



『プロレススーパースター列伝』の「プロレスの神様! カール・ゴッチ編」の第5話にあるエピソードの試合です。







Anton



『プロレススーパースター列伝』文庫版11巻より





このビデオの内容をより理解するために、新日本プロレス旗揚げ前後の出来事を時系列に並べてみると―
(ソースはWikipediaより)

1966年
 豊登の誘いでアントニオ猪木が日本プロレス脱退し、東京プロレスに入団
1966年10月
 豊登と猪木、東京プロレスの旗揚げ戦を行う
1967年1月
 猪木派東京プロレスと国際プロレスの合同旗揚げ戦
 東京プロレスが事実上の崩壊
1967年4月
 猪木が日本プロレス復帰
 豊登は国際プロレスへ
1970年2月
 豊登がプロレス引退
1971年11月
 猪木が倍賞美津子と結婚
1971年12月
 猪木、日本プロレスを追放される
1972年1月
 猪木、新日本プロレスを設立
1972年3月6日(このビデオに収録)
 新日本プロレス旗揚げ戦
 会場に挨拶に来た豊登が新日本プロレスで復帰
1972年7月29日
 ジャイアント馬場が日本プロレスを脱退し、全日本プロレス設立
1973年4月
 日本プロレス崩壊
 テレビ朝日による新日本プロレスの中継番組「ワールドプロレスリング」開始
1976年6月26日
 アントニオ猪木vsモハメド・アリ
1984年?
 『新日本プロレスの夜明け 闘魂』が制作?

新日本プロレスが旗揚げしたときは、まだ日本プロレスが健在(1973年4月に崩壊)で、全日本プロレスが設立されていない(1972年7月に設立)時期でした。
ワールドプロレスリングは始まっておらず、テレビ中継もありませんでした。
プロレス者なら当たり前のことかもしれないけれど。
こういった出来事があったということを前提に、このビデオを見るとより理解が深まると思います。



1.会場風景
オープニングはイノキボンバイエ。
猪木が3ヶ月ぶりにマットに復帰とナレーションが入ります。
前年の暮れに、猪木は日本プロレスを追放されています。


1972年3月6日、大田区体育館。
新日本プロレスの旗揚げ戦に続々と観客が押し寄せます。
このときに倍賞千恵子から届いた花が映されます。
この後も、ちょくちょく観客席にいる倍賞千恵子の表情もインサートされます。


2.豊登登場
スーツ姿の猪木がリングインし、まずは旗揚げの挨拶。猪木が若い!
そして、かつての猪木の盟友豊登が、新日本プロレス旗揚げ戦のお祝いに駆けつけるという体裁でリングイン。
豊登の挨拶後、山本小鉄とユセフ・トルコに促されて、豊登が旗揚げ戦に電撃参加する運びとなります。
ナレーションでは、このようになっていたけど――東京プロレスを巡るトラブルで猪木に迷惑をかけた豊登が「テレビが放映が始まるまで」との条件付きで、自ら参戦を申し出たらしいです。


3.A・猪木インタビュー
新日本プロレス旗揚げにあたって金策で苦労した話を披露。
このインタビューは当時のものではなく、おそらくビデオ制作のころ(1980年代前半?)に取ったものだと思います。


4.山本小鉄、豊登vsドランゴ兄弟戦
豊登参戦により当初のカードが変更になる旨が会場にアナウンスされるんだけど、「取組が変更になります」と言っているのが興味深い。
日本プロレスが相撲由来の用語を使っていた名残りなんでしょうかね?


そして、タッグマッチが開始。
さすがに、この当時の試合なので今の感覚で見ると、かなり地味。
とはいえ、山本小鉄の手や足を取るムーブがヤングライオンの所作にそっくり継承されているのが見て取れます。


この試合以降、伊達けんの実況と東京スポーツ新聞の桜井康雄による解説が入るんだけど。
「1972年に行われた旗揚げ戦」を見ながら、「1980年代前半の状況に照らして解説」したビデオを21世紀になって見ているため、なんか奇妙なズレが生じています。


たとえば、猪木が新日本プロレスを旗揚げした経緯について語られるシーンでは、「猪木が自分のプロレスを追求するため」のものだと解説。
追放というよりは猪木が積極的に脱退したかのような話しぶりとなっています。


山本小鉄に関しては、80年代の鬼軍曹を想定しながらも、日本プロレス入団当時は力道山に「チビはお断り!」のエピソードが語られています。
タッグパートナーの豊登については、東京プロレスの失敗や国際プロレスでの引退について説明。とはいえ、あくまでもアングルの範囲内で語られています。


そんな感じで、試合は山本小鉄のフライングボディプレスで決着。
試合はこの一試合しか収録されていないけれど、どうやら3本勝負だったようです。


5.A・猪木インタビュー
旗揚げ戦でのゴッチ参戦について猪木が語ります。
その中で言葉を濁しながらも、外国人選手の招聘が難しかった台所事情を明かしています。


6.A・猪木vsK・ゴッチ戦
控え室で準備する猪木。そこへ試合を終えた豊登が声を掛けています。
猪木とはいえ控え室は共用だったのか、それとも豊登なら本番直前の猪木にも声が掛けられたのか。
山本小鉄はタオルを頭に乗せて、無言で立っていましたが。


んで、いよいよメインイベント。
控え室からリングへ向かう猪木の背中をカメラが追いかけます。
ボソボソと周りの付き人に話しかける猪木。
歩を進める度に、どんどん観客の歓声が大きくなっていきます。
体育館に出て、スポットライトが当たるリングへ向かっていく猪木の背中。
この一連の流れが、プロレス中継というよりドキュメンタリーを見ているかのようです。
ワールドプロレスリングが始まる前なんで、おそらくこのカメラしか猪木を撮ってない思いますが、この一連のショットはかなり格好いいです。


ちなみに、このときの猪木の入場曲はありませんでした。
元々無かったのか、音を入れていないのかは分かりません。
でも、まだアリ戦の前なのでイノキボンバイエは無かった時期です。


リングインする猪木。
白の闘魂ガウンですが、ビデオ内の解説によると猪木が闘魂ガウンを着るのは、この試合(旗揚げ戦)が初めてなのだそうです。
でも、首に巻いているのは緑のタオルでした。このころは、まだ闘魂タオルは無かった模様。


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んで、このとき猪木の付き人をしているのは…たぶん藤波辰爾(当時は辰巳)のようです。若いを通り越して幼い!


試合開始。


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今のプロレスと比べると、もちろん地味なのだけど。
それでもゴッチのジャーマンスープレックスやゴッチ式パイルドライバーが出ると、まさに神業を見てしまった気分になれます。


んで、解説の桜井康雄からゴッチの経歴が披露。
キャッチアズキャッチキャンがスタートするも、強すぎるためプロレスでは無冠の帝王というゴッチ伝説が語られます。


そんなこんなで猪木の卍固めが決まるも、ゴッチがリバーススープレックスで返してカウント3。
旗揚げ戦で猪木は敗れました。


8.試合後のA・猪木
旗揚げ戦の準備でコンディション不足でした、とリング上で答える猪木。


9.A・猪木インタビュー
インタビューの締めで猪木が拳を突き上げるけど、いわゆる「ダーッ!」とは何かが違う感じ。


収録時間は51分と短いのですが、新日本プロレスの創生期とそれ以外のプロレスとの関わりがいろいろと見て取れます。
オレ的には、「イノキボンバイエ」や「闘魂タオル」といった、知っている猪木とは違う猪木が見られたというのが衝撃的。
また当時のアングル(たとえば豊登参戦)を80年代に振り返っている様子を、今になって見返すというのも興味深いです。
リング以外にも見所があって資料的な意味でも面白いビデオでした。


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制作・著作:有限会社アニマルハウス
発売元:ビクター音楽産業株式会社
AMAZONには売ってないみたい?


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